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血統書に残る最古の血

 イギリスにおいて改良を重ねたサラブレッドは、生物学的な側面からその種族が定義されたわけではない。サラブレッドをサラブレッドとして定義するのは、とある1冊の本である。この本こそが、世界中に繁栄するサラブレッド全てに通ずる血統を記録した、ジェネラルスタッドブック(General Stud Book)である。1793年に第1版が出版され、1891年まで改訂を重ねたこの本には、編纂当時の活躍馬を中心に、その血統を記録のある限りさかのぼって記録した血統表が載せられている。その血統書の中で、最も古い時代に記録され、そして現代までその直系子孫をつないでいるのがこのバイアリータークである。

戦場の勇者

 バイアリータークの出生は明らかになっていない。彼が歴史の舞台に初めて登場するのは戦場であった。1687年、ハンガリーのブダペストにてイギリスとオスマントルコとの間に起こった「ブダペストの戦い」で、イギリスのウィリアム3世オレンジ公配下の第6竜騎兵団ロバート=バイアリー(Robert Byerley)大尉が、敗走するトルコ軍の将校が乗っていた1頭の見栄えのよい馬を奪い取った。これが後のバイアリータークである。ちなみにこの戦争の最中にブダペストのパン職人が「クロワッサン」を発明したという伝承もある。この時、この馬は8歳と考えられたため、一般的に出生は1679年とされている。ターク(Turk)とあるので、トルコ種という記録になっているが、ジョン=ウットンの肖像画(ページ上)から考えても彼の出で立ちは現代においても一等級とされるアラブ種の特徴を受け継いでいるので、実際はアラブ種ではないかという専門家もいる。
 その後、彼はバイアリー大尉の軍用場として活躍した。1690年にはアイルランドのボワインの戦いにも参加した。この戦争でバイアリーは大尉から大佐へと昇進したが、これはバイアリータークの敏捷さによる活躍のたまものといわれている。他にも様々な武勲を上げたとされているが、詳しい記録は残っていない。同年、彼は北アイルランドのダウンロイヤルにて、公式レースに参加し優勝したという記録も残っている。しかし考えてみると、一歩間違えたら戦場で命を落としたのかもしれないのだ。現代のサラブレッドへの影響を考えると、彼が戦場で生き残ったという強運とその実力が子孫へと遺伝されたのかもしれない。
 ロバート=バイアリーは、チャールズ1世配下にて「バイアリー・ブルドックス」の異名を取った竜騎兵隊隊長、アンソニー=バイアリー大佐の息子として1660年に生まれた。ロバート=バイアリーは順調に出世街道を進み、1690年には弱冠30歳で大佐へと任命された。彼はマリーという女性と結婚する。マリーの大叔父は、当時傑出した生産者と呼ばれたフィリップ=ウォートン卿であった。

ようやく訪れた安息
 過酷な戦場を去り、ようやくバイアリータークが種付けを始めるときがやってきた。最初は、イギリスのダラム州ミドリッジグランジにある屋敷の厩舎へ入れられ、その後、ヨークシャーにあるゴールズボローに入厩する。生涯を通じて彼は、品種改良された優良牝馬とはほとんど種付けをしておらず、それにもかかわらず、彼の種牡馬成績は素晴らしいものだった。彼は1701年まで種付けを行った。
 バイアリータークの産駒の中で最も影響を残したのがジグ(Jigg)であろう。ジェネラルスタッドブックの記録では「二流の馬で、地方を回りながら田舎の牝馬に種付けをしていた」が、彼の産駒のパートナー(Partner)突然活躍したのだった。パートナーは「キャピタルホース」と呼ばれ、優秀な競走馬となった。そしてパートナーからはタルタル(Tartar)が続き、タルタルから生まれたのが、バイアリータークの血を現代に伝えるのに最も貢献した子孫、ヘロド(Herod)であった。現在、バイアリータークの血を直系で受け継ぐサラブレッドは、全体に占める割合においてわずか1%程度と言われるが、一度は絶滅しかけた血統を存続させたのは間違いなくヘロドの貢献があったからだろう。
 ちなみに、90%以上のサラブレッドの直系先祖と言われるダーレイアラビアンだが、実はヘロドの母親はその父系をさかのぼるとそのダーレイアラビアンに辿り着く。すなわち、母系を考慮した血統勢力図では、ダーレイアラビアンは100%に近いサラブレッドの体内にその遺伝子を宿すこととなる。

バイアリーターク Byerley Turk(UK)
牡 黒鹿毛

馬主 Robert Byerley(ロバート=バイアリー)
生産者 不明
調教師 不明
戦績 1戦1勝(記録上は1戦のみ)
獲得賞金 不明
主な勝ち鞍 名称不明の公式レース
血統表