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偉大なる父

 現在、世界で生産され、産声を上げるサラブレッドは年間に約10万頭、生存する全世代を合わせると100万頭を超えると言われています。その全ての父親を血統書を頼りに遡っていくと、3頭の馬に辿り着きます。100万頭を超える馬が、わずか3頭の馬を直系の祖先としているのです。そして、3頭の中でも最も強い影響力を発揮し、世界のサラブレッドにその血を引き継いだ馬が、このダーレイアラビアンです。現在のサラブレッドの90%以上が、このダーレイアラビアンの直系子孫なのです。他の2頭、バイアリータークゴドルフィンアラビアンは残りの10%を分け合う形で現在も存続しています。すなわち、現在のサラブレッドはダーレイアラビアンから始まったと言っても過言ではないのです。

盗みたくなる美しさ

 ダーレイアラビアンは、名前が示すとおり、元々「アラビアン=アラブ種」です。まだサラブレッドという種が確立していなかった18世紀初頭、最も早い馬はアラビアンホースとされていました。アラビアンホースの俊敏さは、当時圧倒的な軍事力を誇ったオスマン帝国の戦術に欠かせないものでした。遙か昔、十字軍が遠征を行って以来、ヨーロッパの人々にとってアラビアンホースは速く、そして美しい最高の馬であると認められてきました。十字軍遠征が失敗した原因も、騎馬隊の戦力が圧倒的に劣っていたからとされているほどです。イギリスで現代競馬の原型ができあがったとき、彼らは真っ先にアラビアンホースの入手に躍起になりました。そんな中、シリア地方のアレッポという町にに駐屯していたイギリス人領事トーマス=ダーレイは、ある1頭の馬と出会う。

 シェイク=ミルザ2世という人物が所有していた馬は、とても美しい馬体をしていた。トーマス=ダーレイはシェイク=ミルザにこの馬を300ソヴリンで譲るように約束を取り付ける。しかし、シェイク=ミルザが直前になって「やはりこの馬は譲れない」と約束を破ったことにトーマスは激怒し、何とこの馬を強奪する計画を立てる。強奪に成功したトーマスは、彼をイギリスへ密輸した。こうして1704年、後にダーレイアラビアンとして名を残すこの馬はイギリスの地へと辿り着いたのだった。

 トーマスは兄弟のリチャードに連絡し、彼をアルダビーホールの屋敷に入厩させた。当初、トーマスのまわりの仲間たちはこの馬の資質を疑っていた。トーマスはこの馬は正真正銘の純血アラビアンホースであること、アラブ種の中でもスピードの速い血統と言われる「マニクイ」から名前を取って「マナク」もしくは「マニカ」と呼ばれていたことを説明した。「ダーレイアラビアン」という名前は実は当時は使われておらず、一説によると名前がなかったとされている。これは、当時は馬に固有の名前を付ける習慣が無く、単純に「○○氏の持ち馬」という呼び方だったそうです。「ダーレイアラビアン」も、「ダーレイ氏のアラビアンホース」という意味であり、この名前も血統書に記入する際に仕方なく付けた名前だそうです。

輝かしい種牡馬成績

 ダーレイアラビアンは1706年〜1719年の間に種付けを行ったとされています。ジェネラルスタッドブックによると、「この馬はダーレイ氏の所有する馬以外とほとんど交配せず、ダーレイ氏自身もアルマンザーズダム(Almanzor's Dam)以外に良血の馬を所有していなかった」とある。ちなみに「Dam=母馬」という意味である。すなわち、ダーレイアラビアンは当時の有名な繁殖牝馬との子供を残せなかったということである。しかし、この不遇にもかかわらず、彼は数多くの優秀な競走馬を残し、その多くは優秀な種牡馬となり、繁殖牝馬となった。

 特に重要とされる産駒が、フライングチルダーズ(Flying Childer's)とバトレットチルダーズ(Bartlett's Childers)である。彼らは同じ母親から生まれた全兄弟である。フライングチルダーズは生涯無敗の最強馬として名を馳せた。ジェネラルスタッドブックにも、「彼より速い馬はいない」と記録されている。しかし、フライングチルダーズは種牡馬として数多くの優秀な産駒を残したにもかかわらず、サラブレッドにおいてその直系は現在では絶滅してしまった。バトレットチルダーズは競走馬としては活躍できなかったが、種牡馬としては大成功を収める。バトレットチルダーズの最大の功績は、後に彼の子孫から偉大なるエクリプス(Eclipse)が生まれることであった。

ダーレイアラビアン Darley Arabian(UK)
牡 鹿毛

馬主 Thomas Darley(トーマス=ダーレイ)
生産者 不明
調教師 不出走
戦績 不出走
獲得賞金 不出走
主な勝ち鞍 不出走
血統表