×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

●全てはこの馬から
 バイアリータークダーレイアラビアンゴドルフィンアラビアンの3頭が、現在、世界で生産されるサラブレッドの直系先祖であることから「三大始祖」と呼ばれることは、競馬の世界では有名な話である。だが、中にはこの3頭とは別に、エクリプス・ヘロドマッチェムを「三大始祖」とする考え方もある。これは、ダーレイアラビアンからエクリプスが生まれ、バイアリータークからはヘロド、ゴドルフィンアラビアンからはマッチェムが生まれたが、結局、古い方の始祖からは新しい始祖以外に枝分かれする子孫が残らなかったからである。このいわゆる「新三大始祖」から、現代に残る多種多様な血統が枝分かれしていくのである。そしてこの「新三大始祖」の中でも特に大きな影響力を発揮したのがこのエクリプスである。
 現代のサラブレッドの約90%がダーレイアラビアンを直系の祖先とするが、言い換えれば、約90%はエクリプスの直系の子孫であるということと同じである。繰り返すが、ダーレイアラビアンの子孫の中でエクリプス以外に現代まで子孫をつないだ馬がいないのである。ちなみに、母スピレッタの祖父がゴドルフィンアラビアンであるので、解釈を広めると、ゴドルフィンアラビアンの血もしっかりと受け継がれているということになる。そしてこのエクリプス、種牡馬としてはもちろん競走馬としても類い希なる才能を発揮したのである。

●日蝕の日に
 エクリプスという名前は「日蝕・浸食」という意味から来ているとされる。彼の生まれた1764年4月1日は、まさに皆既日食が起こった日である。そして、彼は出走するレースをことごとく「浸食」していった。名は体を表すとはこのことだろうか。彼を生産したウィリアム・カンバーランド公殿下は、当時の国王ジョージ2世陛下の第3王子という高貴な身分であったが、その頃イングランドと戦争状態にあったスコットランド軍に対して残虐な虐殺を行ったことから、「残忍な殺し屋」という意味の「ブッチャー」という異名を持っていた。この虐殺が行われた戦いは「暗黒の金曜日」として今も語り継がれている。カンバーランド公は戦争が一段落して隠居すると、彼の関心はひたすら馬産に集中することになった。
 彼が偉大とされるのはエクリプスの生産だけではない。エクリプスが生まれる以前、1758年にはこれまた偉大なる名馬ヘロドを生産したからだ。ヘロドは前述の「新三大始祖」の1頭であり、現代のサラブレッドの直系先祖としてマッチェムと残りの10%を分け合う種牡馬となる。実際には、約10%のうち大半はヘロド系が占めるものである。マッチェム系はわずかに1〜2%を残すのみである。すなわち、現代のサラブレッドのほぼ全てはこのカンバーランド公の生産によるところが大きいということなのだ。ヘロドとエクリプスの種牡馬としての凄まじさを物語るとあるエピソードがある。1786年に創設されたジュライステークスというレースでは、出走する馬のうち、エクリプスとハイフライヤー(High Flyer 父ヘロド)の産駒だけ、他の馬より3ポンド重い重量を背負わなくてはならないとされた。それほど彼らの産駒は勝ちまくったのだった。
 1764年4月1日、皆既日蝕と共に生を受けたエクリプスだが、カンバーランド公がその1年後に亡くなったため、エクリプスを含めたカンバーランド公の所有馬は全てセリに出された。セリで彼を落札したのは、当時かなりの目利きと評判だったウィリアム・ワイルドマン氏であった。エクリプスは体高(背中までの高さ)が当時のアラブ種(まだサラブレッドというタイプは確立していなかったため、アラブ種に区分される)のサイズとしてはかなり大型の15.3ハンド(約154.4cm)であり、かなり激しい気性を持っていたことから、現代のサラブレッドが持つ特徴を兼ね備えているといえる。この馬の性質が現代まで受け継がれていることがうなずける特徴である。しかし、そのあまりにも激しい気性のため、ワイルドマン氏は去勢を考えたほどだった。もしエクリプスが去勢されていたのなら、現代のサラブレッドは今とは全く違った特徴を持っていたかもしれない。

●悪徳ギャンブラーの大勝負 「Eclipse first, the rest nowhere.」
 17世紀から19世紀初頭にかけての競馬は、システムもスタイルも現代とは当然だが全く違う。いわゆるステークス(Stakes)とは、馬主同士が賞金を出し合って、勝ち馬の馬主が総取り(スイープ:Sweep)するシステムである。プレート(Plate)とは、優勝馬に国王から栄誉の楯(プレート)が送られるレースである。また、初期の頃は1対1のマッチレースが主流だったが、馬主の増加と共に1レースにたくさんの馬が参加するようになり、一度に集まる賞金の額も上がっていった。そして17世紀から18世紀にかけて主流となったレーススタイルが、ヒート(Heat)競争である。ヒートとは「予選」の意味で、現代のように1回走って優勝ではなく、予選を勝ち抜いて初めて優勝と認められる形式であった。一般的には、ヒートを2回勝つことで優勝とされたので、同じ馬が2回勝つまでレースが繰り返されるという、現代では考えられない過酷なレースだったのだ。さらに、競争距離も現代の主流である2000m(1・1/4マイル)前後ではなく、2〜4マイル(3200〜6400m)が主流で、無尽蔵のスタミナを持つ馬こそが最強と考えられていたのだった。また、馬の年齢に対する考え方も現代とは違い、馬は5歳頃からレースに使い出し、8歳を超えたあたりが最も強い年齢だとされていた。そのため当時は、今では引退を考えるような年齢になってようやくデビューするのが普通だったのである。
 エクリプスのデビューは5歳の5月3日、エプソムの4マイルヒート競争、ノーブルメン&ジェントルメンズ・プレート(Noblemen and Gentlemen's Plate:貴族と紳士のプレート競争)であった。レース前の試走を見たある老婆が「ものすごい速さでした。もう1頭が追いかけていたけど、地の果てまで行っても追いつけなかったでしょう。」と言ったという逸話もあるほど、評判の高かったエクリプスであった。5頭立てのレースだったが、オッズは断然人気の1.25倍。そして下馬評通り、第1ヒートを追うところ無く余裕で完勝したエクリプスのオッズはさらに下がった。この時、第1ヒートで大儲けをした人物がいる。デニス・オケリー閣下である。オッズが下がったため、彼は第2ヒートが始まる前に、「全馬の着順に賭けてもいい」と賭博仲間に持ちかけた。「では言ってみろ」と仲間が言うと、「Eclipse first, the rest nowhere.(エクリプス1着、あとはどこにもいない。)」と言い放った。これは決して洒落で言ったわけではない。当時のヒート競争では、1着馬が2着馬に240ヤード(約220m)以上の大差をつけてゴールした時点でレースは終了、他の馬は失格となり、次のヒートへ行かずにその馬の優勝とされていた。そしてなんと、エクリプスはオケリー閣下の予言通り、2着以下に大差をつけて圧勝したのだった。
 デニス・オケリー閣下は当時、札付きのギャンブラーとして名を馳せていた。アイルランド出身で、ロンドンに上京してからは職を転々としつつギャンブラーとしての才能を発揮していたが、一度失敗して逮捕され、囚人船に投獄されてしまう。しかし、ジョージ2世死去による恩赦で再びロンドンへと戻る。その後は成功者の道を歩み、大佐の称号を金で買い取り、さらに閣下の地位を獲得するに至った。後にオケリー閣下はワイルドマン氏からエクリプスの権利を買い取り、エクリプスのオーナーとして名を残すことになった。

●手がつけられない強さ
 エクリプスの戦績は、記録が曖昧な部分があるため、26戦26勝とか、20戦20勝、18戦18勝など、はっきりしないのである。これは、あまりにも強いために対戦者がいない単走レースになったり、非公式のマッチレースが含まれるためであるが、負けたという記録が一切残っていないことから1度も負けなかったことだけは確かであろう。彼にはライバルと言えるようなライバルはいないほど強かった。特に彼の強さを決定づけたのが、当時の最強馬の1頭ブケファロスとのマッチレースである。賭け率も6:4と拮抗し、さすがのエクリプスも先の見えない勝負に思われた。しかし、結果はあっけなくエクリプスの楽勝だった。これ以降、エクリプスにマッチレースの勝負を挑む相手は完全にいなくなった。オケリー閣下の最初の予言は彼の競争生活そのものを表している。まさに「誰もいなくなった」のだった。ちなみに、ブケファロスとは、マケドニアの王アレキサンダーの愛馬から名を取っている。
 マッチレースの後も楽勝を続け、1771年についに無敗のまま引退し、種牡馬入りしたエクリプスだったが、現役時代に負けず劣らずの種牡馬成績を残した。だが、ライバル不在の現役と違う点は、種牡馬として彼は絶対的存在になれなかった点である。今でこそ約90%という驚異的な遺伝力を示しているが、当時に限った短期的な強さでは、その頃圧倒的な勢力を誇っていたヘロド系に幾分か押され気味であった。ヘロド自身はリーディングサイアーに輝くこと8回、その息子ハイフライヤーに至っては13回という圧倒的影響力を見せつけた。この13回という記録は、2004年にサドラーズウェルズに更新されるまで2世紀もの間保持してきたとんでもない記録である。ちなみにサドラーズウェルズはフランスでも3度リーディングサイアーになっているが、ハイフライヤーの記録と比べる際にはイギリス国内だけの記録を用いる。結局エクリプス自身は1度もリーディングサイアーにはなれなかったが、代を経ることでの驚異的な活力はヘロド系の比ではなかった。子孫に託したリベンジは圧勝という形で現在も続いている。現在、彼の息子の2頭、ポテイトーズ(Pot 8 O's)とキングファーガス(King Fergus)が、現代まで続くサイアーラインを形成している。ポテイトーズからはハイペリオン(Hyperion)、ネアルコ(Nearco)と続き、さらにネアルコの系列からは、今や世界中を席巻するノーザンダンサー(Northern Dancer)、ミスタープロスペクター(Mr. Prospector)へと続く。キングファーガスからは19世紀の怪物セントサイモン(St. Simon)が出現する。
 近い将来、ヘロド系もマッチェム系も絶滅し、エクリプス系のみがサラブレッドとして存続する日が来るのかもしれない。

エクリプス Eclipse(UK)
牡 栃栗毛

馬主 William Wildman(ウィリアム・ワイルドマン氏)→
Dennis O'Kelly(デニス・オケリー氏)
生産者 William the Duke of Cumberland(ウィリアム・カンバーランド公爵殿下)
調教師 Sullivan(サリヴァン氏)
戦績 18戦18勝
獲得賞金 2128ポンド10シリング
主な勝ち鞍 ノーブルメン&ジェントルメンズ・プレート
キングズ100ギニー
シティ・プレート
血統表
Marske
1750
Squirt
1732
Bartlet's Childers Darley Arabian
Berry Leedes
Snake Mare Snake
Grey Wilkes
Blacklegs Mare Blacklegs Hutton's Bay Turk
Coneyskins Mare
Bay Bolton Mare Bay Bolton
Fox Cub Mare
Spilletta
1749
Regulus
1739
Godolphin Arabian
Grey Robinson Bold Galloway
Snake Mare
Mother Western
1731
Easby Snake Snake
Acaster Turk Mare
Old Montagu Mare Old Montagu
Hautboy Mare
Snake Mare3×4 Snake4×4・5
F-No.12