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●カンバーランド公の偉業
 18世紀中盤〜後半という時代は、イギリス競馬の黎明期といえる。1752年のジョッキークラブ設立に始まり、1766年には競走馬のセリが開始。1773年はレーシングカレンダーの初刊行。1776年セントレジャー設立。1780年ダービー設立。1793年ジェネラルスタッドブック発刊。現代に残る色々なシステム・記録がこの時期に創り出されたのだった。その時代において輝かしい成績を残した競走馬・種牡馬は、歴史に残るような偉業を成したものが多い。少し前のフライングチルダーズ(Flying Childers:1715年)、マッチェム(Matchem:1748年)、ヘロド(Herod:1758年)、ジムクラック(Gimcrack:1760年)、エクリプス(Eclipse:1764年)、ポテイトーズ(Pot 8 O's:1773年)、ハイフライヤー(Highflyer:1774年)…。これらは1頭取り上げてもたくさんのエピソードが残されている名馬たちである。そして驚くべき事は、これらは全て三大始祖(バイアリーターク・ダーレイアラビアン・ゴドルフィンアラビアン)を先祖とする馬ばかりなのである。なぜ驚くべき事かというと、当時は、現代では淘汰されて絶滅してしまった血統がまだ多く残っていおり、その中には短期的には成功したものもあり、決してはじめから三大始祖の子孫達しかいないという状況ではなかったのだった。にもかかわらず、当時活躍したサラブレッドは三大始祖を先祖とするものばかりであった。わずか数十年の間に血統地図の基礎を創り上げてしまった彼らの遺伝的活力は驚愕に値する。

 そんな名馬たちの中でも、特に重要視されているのが「新三大始祖」と呼ばれる、エクリプス・ヘロド・マッチェムである。現代まで淘汰されることなく生き残るサラブレッドは、その全ての父系先祖は彼らに辿り着くのである。これははじめに紹介したダーレイアラビアンを始めとする三大始祖にも当てはまるものだが、新三大始祖はそれぞれが古三大始祖を先祖としており、古三大始祖からは新三大始祖以外に派生する子孫が残っておらず、新旧の三大始祖が結局はそれぞれが1本のラインで結べてしまうからである。ダーレイアラビアン→エクリプスであり、バイアリーターク→ヘロド、ゴドルフィンアラビアン→マッチェムということである。この「新三大始祖」の中でも、特に強い影響力・遺伝力を見せつけたのがエクリプスである。そして、そのエクリプスと同じ生産者から生まれ、18世紀のイギリス競馬を席巻したのが偉大なる古代パレスティナの王ヘロド大王から名を借りたヘロドなのである。カンバーランド公はこの2頭を生産したということで、現代競馬における最大の貢献者であると言えよう。

●恐るべき遺伝子
 ヘロドは、競走馬としては当時の一級線に比べればそれほど目立つ成績を残していないが、1764年に当時の強豪馬アンティノウス(Antinous)を4マイルのマッチレースで下しており、翌年も同じ相手に同じコース、同じ条件で勝っている。しかし、それ以降は精彩を欠き、1767年に9歳で引退し、種牡馬入りした。馬主であったカンバーランド公は1765年に死亡しているので、その後馬主となったジョン・ムーア氏が所有する牧場で種馬となった。カンバーランド公がヘロド、エクリプスの活躍を見る前に亡くなったことは彼にとって非常に残念なことであろう。
 ヘロドの種牡馬成績は競走馬時代をはるかに上回る、驚異的なものだった。初年度産駒のフロリゼル(Florizel)は23戦16勝という優秀な成績で種牡馬入りし、フロリゼルからは、第1回ダービー優勝馬のダイオメド(Diomed)が生まれ、そのダイオメドは後にアメリカに輸出され、アメリカ競馬の礎を築く貴重な種牡馬となる。フロリゼルの活躍のおかげでヘロドには次々と優秀な繁殖牝馬が交配された。その結果、1777年から1784年までの8年間連続でイギリスのリーディングサイアーに輝くという偉業を成し遂げたのだった。競走馬としては最強を誇ったエクリプスも、種牡馬としてはヘロドに太刀打ちできなかった。
 ヘロドの代表産駒は他に、1773年に生まれたウッドペッカー(Woodpecker)がおり、現代まで残るヘロドの子孫はこのウッドペッカーを通じた子孫である。フロリゼルの子孫は残念ながら繁栄しなかったのだ。ウッドペッカーからつながるサイアーラインは、戦後の日本で大流行したトウルビヨン(Tourbillon:1928年)、芦毛の怪物ザテトラーク(The Tetrarch:1911年)を通じて現代に残る。
 そして1774年、ヘロドの最高傑作ハイフライヤーが生まれる。ハイフライヤーは競走馬としても12戦無敗という驚異的な強さを誇り、種牡馬としても1785年〜1796年、1798年と、12年連続を含む計13回もリーディングサイアーとなった。この記録は21世紀にサドラーズウェルズに破られるまで200年以上破られることがなかった。自ら父ヘロドをリーディングサイアーから引きずりおろし、さらにヘロド系を活性化させた、驚異的な活力である。しかし彼自身、息子であるサーピーターティズル(Sir Peter Teazle:1784年)に首位種牡馬座を奪われる。サーピーターティルズもリーディングサイアー9回という超優秀な種牡馬であった。この3代の活躍でヘロド系は一気に流行し、1777年から1809年の33年間におけるリーディングサイアー獲得は31回と、わずか2回を除いて全てヘロドを含むヘロド系の種牡馬が占めたのだった。18世紀から19世紀にかけての競馬はヘロドなしには語れないものだった。

●席巻から斜陽へ
 しかし、彼の子孫は突如として衰退を始める。フロリゼルの子孫でアメリカに渡ったダイオメドは、レキシントン(Lexington:1850年)を生み、レキシントンはアメリカで大成功し、リーディングサイアー16回という現在でも破られていない世界記録を打ち立てる。しかし、20世紀に入ると突然レキシントン系の産駒が走らなくなり、一気に衰退を始め、現在確認できるレキシントンの直系子孫はセキュアードノート(Secured Note:1989年)1頭のみである。彼が死んだ時点でレキシントン系は絶滅となる。
 ハイフライヤー系も、かつての繁栄が嘘のように衰退を始める。イギリスで絶滅したのち、フランス、ドイツ、アメリカ、果てには競馬後進国のソ連と流れていったが、21世紀になる前に絶滅してしまった。
 現在残るのは前述のトウルビヨン、ザテトラークの2頭から分かれるサイアーラインだけである。だが、ザテトラーク系は直系子孫がほとんど途絶えてしまっており、ヘロド系の主流血統はトウルビヨン系となる。
 ヘロド自身は種牡馬としてまだ現役だった20歳の1780年5月12日に他界してしまった。18世紀の繁栄を目の当たりにした人は、現代のエクリプス系の席巻を想像すらできなかっただろう。まさに「盛者必衰の理」である。繁栄と衰退は相反するものだが、繁栄を目の前にしてそれが衰退するとは中々考えにくいものだ。

ヘロド Herod(UK)
牡 鹿毛

馬主 William the Duke of Cumberland(ウィリアム・カンバーランド公爵殿下)→
Sir John Moore(ジョン・ムーア氏)
生産者 William the Duke of Cumberland(ウィリアム・カンバーランド公爵殿下)
調教師 不明
戦績 10戦6勝(記録には諸説あり)
獲得賞金 不明
主な勝ち鞍 アンティノウスとのマッチレース
血統表
Tartar
1743
Partner
1718
Jigg
Byerley Turk
Spanker mare
Sister to Mixbury Curwen Bay Barb
Spot mare
Meliora
1729
Fox Clumsy
Bay Peg
Witty's Milkmaid Snail
Shield's Galloway
Cypron
1750
Blaze
1740
Flying Childers Darley Arabian
Betty Leedes
Confederate Filly Grey Grantham
Rutland Black Barb mare
Selima Bethell's Arabian ?
?
Champion mare Graham's Champion
Darley Arabian mare
Darley Arabian4×5
F-No.26